学級崩壊2
僕が最初に「大学生の学級崩壊」を意識したのは去年の前期に講義だった。最初は携帯メールだった。こちらを向いて講義を聴いている学生がびくっと反応し、携帯の画面を見る。メールだ。読み終えるとそのまま下を向いてメールの返事を書いている。別に悪いことをしているようなそぶりもない。もう一つは、学生が突然立ち上がり、教室を出て行く。メールとかのためとは見られない。なんとなく外に出て行く感じだった。そして、そのうち教室に戻って、座る。ちゃんと、かどうかは分からないが、講義を聞きだす。最後は私語。僕は講義の中で、説明するときは静かにしてくれるように学生に言っている。特に大事な話のときは、「10分静かにして」と言う。でも何人かの学生は5分もたないうちにしゃべりだす。その時僕は、「何故5分間我慢できないのだろう」という問いを学生たちに出した。
その課題のメールを読んでいるうちに、突然僕の頭に「大学生の学級崩壊」という言葉が浮かんできた。これは、講義の中で是非学生に話そうと言うことで、実はその次の講義は急遽内容を変更して、このテーマで学生に話をしたのだった。講義資料を作成したのは、前日の夜。一度布団に入った後置きだして作ったのだった。
その講義に対する、学生の反応は教壇から見ている限りではとても集中していた。なんといっても、普段自分たちの目の前で起こっていることが、そのままテーマになったのだから、関心が高いわけだ。その反応は課題にも反映していた。
・ 目的意識なしに大学に入ってきている学生
・ 我慢と言うことを学ばなかった学生
・ 教師に失礼な学生
・ 周りに迷惑をかける学生
というような意見が多々見られた。一方「大学生の学級崩壊」と言うことに反発、あるいは批判的な内容を書いた学生は皆無と言ってよい。それに近いものとして、
・ 授業内容が自分には関心のない内容
・ 講義が面白くない
・ 退屈
など、本質からずれた回答があったことはあった。
去年の後期は、前期の内容をあまり点検せずに話をして、実は僕の言いたいことが充分学生に伝わらなかった感じだった。これは僕の大反省!
今年は、去年の後期の講義の流れを考え、僕なりにこの講義の意味を再確認した上で、前半のまとめの意味で、「大学生の学級崩壊」を取り上げることにした。
「大学生の学級崩壊3」
今年の講義の前半は、「自分、大学、社会を考えることで、自分を考える」というコンセプトだった。テーマとしては
・ 何故、この大学に来たのか
・ ここで何をするのか
・ 今教室にいるのは何故か
・ 大学で何を学ぶか
・ マナーとルール
・ 社会の二極分化
・ 大学生の学力の低下
である。こういうテーマを通していいたかったことは「意欲」「自覚」と言うことである。結局、大学に来たと言う自覚、大学生と言う自覚。何かを学ぶ意欲。自分を高めると言う意欲。人に向かう意欲。こういうものが、若者をめぐる特に社会的問題の多くが、何らかの形で関わっているのではないかということだ。
そのまとめとして、「大学生の学級崩壊」というテーマを持ってきたと言うことである。それは、今ここにいる「大学生」の君がこういう行動を取るのはなぜか。また、「教室にいるのは何のため」という問いでもある。もう一度最後に、今ここにいる自分をしっかり見つめ、自分とその人生(とりあえずは大学生活)を考えよう、ということである。