「バカの壁」
僕は今年の講義の中でよく「バカの壁」について話をする。「バカの壁」はいわずと知れた、養老猛氏のベストセラーの題名である。
僕なりに養老氏の「バカの壁」を解釈し、僕なりの意味合いで使わせてもらっている。
その僕の説明はこうだ。
人は元来皆平等に無限の可能性を持って生まれてくる。
幼稚園や小学校に入るまでは、つまり学校という制度の中に入るまでは皆無限の可能性を持っている。
就学前の子どもたちは、どの子どもも同じ可能性を持って、原っぱで遊びまわる。
ところが、小学校に入るや否や、「あの子は漢字を知っている」「この子は算数が得意」「マ○くんはいすに座っていられない」。
とか「△さんは英語が得意」「○×高校に入った」「中間テストの成績がいつも上位」「あの子は理科が不得意」・・・・「T大に入ったんだって」。
などと「教育的評価」を受ける中で、少しづつ自分の中に壁を作っていく。
評価を受けるごとに、一つ二つと壁の上にレンガを積んでいき、いつの間にやらその壁の向こうに行かれなくなっている。
そんな大学生は就職のときに「C企業に行きたいけど、この大学からじゃね」と自分の道を閉ざす。
「これについてどう考える?」と問われても、「間違えると嫌だ」と発言をしない。」
「大会で優勝したい」「きっとダメだろうな」・・・という風にどんどん後ろ向きになる。
これが僕の言うところの「バカの壁」である。
「いいじゃん、やってみようよ」という第一歩を踏み出す。行動に出る。場合によっては失敗する。
そういう前向きの意識が、ドンドン失われていく。
今大学生を前にしていて、そうやって、「バカの壁」を築いてきた、あるいは築かされてきた学生が9割がたあるいはそれ以上いることを実感する。
その壁は明らかに、学生たちの可能性を無にしている。
でも救いは、僕がするこの話に学生の多くが傾聴し、少なくない学生が目を輝かすことだ。
一度で壁は壊せやしないだろうが、でも何人かの学生は、前に一歩踏み出すかもしれない。そんな期待で僕は「バカの壁」の話しをしている。