大学の講義があっという間に半分終わった。先週は「大学生の学級崩壊」というテーマで、前半を締めくくった。「大学生の学級崩壊」という語は、去年の講義の途中で言い出した、いわば造語である。でも、昨今の大学生の実態を表している語だと考えている。勿論、小中学校で問題になっている学級崩壊とは若干内容は異なる。ただ、本来の大学らしい授業が成立していないという意味では、同じかもしれない。現象的には私語、授業中の携帯メール、居眠り、遅刻・早退、立ち歩き、授業中の教室の出入りetc.である。かつて、こういう現象は教師の問題として現れていた。すなわち、10年前の講義ノートを朗読するだけの教師だ。そして、そんな講義は寝るか、抜け出すか、初めから出ないのが普通だった。でも最近の学生はある意味まじめにそういう授業にも出るのだ。
僕は講義の中で、学級崩壊には意識的なものと無意識的なものがあるという説明をする。前者は教師への反抗としての学級崩壊である。それに対して、無意識的な学級崩壊とはどのようなものか。授業の最初から、先生がどういう人で、どういう講義をするかに関係なく、学級・クラスが成り立っていない状態を指す。生徒でも学生でも、最初から勉強をするためにそこに来ていない状態である。そういう教室を想像できるだろうか。
小中学校の学級崩壊は今やそれほど珍しくないから、イメージはつくかもっしれない。でも、大学生のクラスが崩壊するっていうのはどうだろう。教師が教壇で講義をしている。目の前の席はがら空きで、ほとんどの学生が真ん中より後ろにいる。教壇を後ろに回したほうがフィットする。そして、後ろの方にいる学生たちは、メールを打ったり、お化粧したり、パンやおにぎりを方張り、私語をしている。ざわざわしている教室では、教師がボソボソ何が言っている。もう、怒るのにもうんざりしている。こういう風景が、実は多くの大学で珍しくもなく見られるのである。
この状況はどうして起こるのだろうか。
僕は一つの原因は教師の側にあると思うが、大きな原因はやはり学生の意識にあると考える。何をしに大学に来たのか、大学とは何をするところなのかそういう問いに明確に答えられないままに大学に送り込まれた学生たち。今、大学はそういう学生が増加している。
続く・・・
<ここ数回、大学生の学級崩壊をテーマに進めます。>