人と社会(3-5回講義);グループワーク
今回第3回から第5回講義まで、3「人と社会」というテーマに3回を使った。これは、学生が考え出す時に、抽象的な問題を考えるよりも、より具体的でしかも自分に関係する事柄が一番考え易いのではないかと思ったからだ。
それぞれの回は、
第3回フリーターとニート
第4回ルールとマナー
第5回公共性
といった感じだ。感じだというのは、主にここに挙げた事柄をトピックや例としてあげながら進めたという意味で、そのことだけを話したわけではなかったからだ。.
それと、この3回は特にグループワークを重視し、毎回30分~40分のグループ討議を実施した。グループワークはカウンセリングの世界ではグループカウンセリングと言って、一つの手法として確立しているようだか、僕自身は学生の就職指導の一環と.してこの方法を採るようになった。就職時の集団討論指導を行いながら、集団討議で.は、1)各個人の能力が明瞭に現れてくる、2)集団討論を通して参加者が多くを学ぶ、ということに気づき、依頼この手法を試して見たいと思っていた。
この講義は実は150名の学生が受講している。従って普通うに考えると、グループワークや集団討議は無理である。しかし、周りに不安をよそに、150名を5人のグループに分け、グループの集団を作る事でグループワークを実施している。ここでの問題の第1は、前期もそうだったが、グループによっての討議やワークのレベルとか参加意識にかなりのバラツキが出てきているということだった。
僕自身は、一つひとつのグループに十分眼を配れない状況にある。であるから、最初の説明の時点で、いかにメンバーが主体的になるかによってしか成立たないということをしつこいくらい説明した。しかし、それで十分に伝わる訳では、勿論、ない。
思ったとおり、教卓のこちら側から見ていても、討議が出来ているグループ、スタートしても中々集まれないグループ、一人がぽつんとしてしまっているグループ、仲のいい友達同士がいてその二人だけがお話をしているグループ等々があちこちに見られる。
それでも、学生から返ってくるメールを見ていると、グループ討議故に見えてくることや、それを通して自ら気づくという経験をしていることが見て取れる。そういう意味では、無理してもグループ討議を取り入れた意味はあると考える
学生達がグループワークについてどういう感想を持っているかは今後の学生のメールの中で表現されるのではないかと思う。ただ、「私は人見知りするからグループ討議は嫌だ」という学生も既に何人かかいるが、実際経験する中でまたどう変わっていくかは分からない。