講義では、毎回学生に課題を出しています。そして学生は僕宛にメールで課題を出すのすが、そのメール全部に僕は返事を書きます。ですから、1)講義で考え、課題を書く時考え、僕からの返事を読んで考え、実は次の授業の最初に課題のreviewをして考えさせるという、一粒で4回味わえる講義を目指しています。
以下に、僕の学生への返事のほんの一部を載せて、それをテーマに追記をします。
<この回のテーマ>
課題1
社会におけるルールとマナーについて考えたこと。
課題2
今日のグループ討議をして考えたこと。
「一言二言で言える問題ではありませんが、僕は考えるということを日本人はあまりしないな、と思っています。考えずに、マニュアルや先生の言うことを聴くのが○の国です。だから、判断をしていません。だから、皆がやっていると○です。何故皆がやっていると○なのかは考えません。政治も、財界も、官僚も、大人も子どももこういう状態ではないかと思います。
僕がこの講義で考えることをうるさく言うのはこういう理由からです。では質問、何故法律を守らなくてはなりませんか、何故お金を盗んではいけませんか。こういう問いでも、きちんと考えることではないでしょうか。どうですか、答えられますか。
考えて行動する人が多い国に日本がなればいいな、と僕は思って、教壇に立っているつもりです。」
日本人は他の国の人と比べて特別頭が悪いなんて事は無いと思います。ただ、頭の使い方が、他の多くの国の人とかなり違うように思います。その一つに、考える事で自分の行動を判断し、決めるということが少ない、あるいはそういう意識が希薄であるということがないでしょうか。
横並び、マニュアル、唯一の正解を求める、権威者の言葉に従う等など、挙げたら再現ありません。
むしろ、上記の「唯一の正解」を求めるような能力は他を寄せ付けない強さがあるのかもしれません。
でも、例えば戦後、壊滅的な状況から復興を果たし、諸外国に追いつけ追い越せの時代はいいのですが、いったん先頭集団に入った途端、今度は自分でそのレースを組み立てなければならないのです。自分で判断し、自分で決めるということがとても苦手な国民なのかな、と思います。それはなぜか。その答えの一つが、自分で考えないということではないでしょうか。
戦後の日本はアメリカ追従という選択をしたことにより、考える必要性を自ら放棄しました。迷った時は、感がるのではなく、アメリカの動きを見ればよかったのです。また、日本人の国民性がアメリカ追従を選択させたという面もあるのかもしれません。結果的にはどちらでも一緒ですが。
今、日本は考える事を必要としているのではないか。そんな気がします。経済や、経営や、政治や、教育や何もかもが変わってきています。これはまさに構造的な変化です。その変化に中々日本はついていけていないということではないか。だからこそ、自分自身の眼で見て、自分の脳みそで考えることが必要なのです。
『私も、今のままではダメだと思います。でも、これからの日本を支える世代が私を含め、頑張る、ということを全然しないでここまできてしまったと思います。アジアのお荷物にはなりたくありません。でも、日本は何か、バランスが取れないままここまできてしまったと思います。先生は、どうしたら日本の将来がみんなが希望をもてるものになると思いますか?』という学生への返事。
「日本の10年後20年後は君たちが支えるのです。その意識や危機感を持って、頑張って欲しいですね。多くの若者が、頑張っていないように思います。頑張らなくても一応生きていける世の中なんですけど、あと何年持つか、ですね。」
勿論若者だけの問題ではありません。日本人全体の問題です。若者は、大人の背中を見て成長します。ですから、若者の多くの行動の元は大人にあります。10年後、20年後を考えるということは、想像力です。これまた、多くの日本人が苦手とすることです。今自分たちが何故生きていられるのか。戦後60年の遺産を食い潰しているだけだ、いつかは貯金が無くなる、という危機感にきちんと反応できていないのではないでしょうか。