格差社会
社会の二極分化ということが今さまざまな場面で話題になっています。大きいところでは政局もこの問題で騒がしいようです。マスコミや野党からの日本社会の二極分化、所得格差について政府は「調査ではそのような傾向はない」と回答しています。
しかし、日本社会の二極分化はさまざまなフェーズで当たり前のように進んでいるのではないでしょか。また、それに警鐘をならす書籍の出版も相次いでいます。昨年で言えば「下流社会」(三浦展;光文社新書)が話題になりました。この本はデータの根拠が曖昧なところがあって、言っている内容も推測の域という部分もあるのですが、妙に納得感がありました。しかもあれだけ売れたというのもやはり多くの日本人がそういう傾向を感じ取っていることの表れではないかなと思います。
国会での答弁では収入の問題があがっています(勝ち組・負け組み、ヒルズ族など)が、上記の「下流社会」で三浦氏は、昨今の下流社会は経済的に苦しく日々の食事もままならないという状況ではなく、むしろ意欲の喪失層だ、という言い方をしています。現状で一定の満足をして、上昇志向が無くなっている、したがって、勉学についても仕事に対しても生活についても意欲がないという人々が増えてきているということではないでしょうか。
実際、大学で若い人たちを見ていて、感じることが多々あります。まずは学生の二極分化ということです。これは僕が教えている大学のみならず、どの大学でも見られる傾向らしいです。だから、これは学力の二極分化ではなく、むしろ意欲の二極分化だと言えるのではないかと思うのです。昨今の学生の特色のひとつに授業への主席率の高さがあります。 かつて、大学キャンパスは4月は学生で溢れるが、5月の連休過ぎからは学生の数が疎らになり、教室も満杯なのは最初の1-2ヶ月でそれを過ぎると空席が出始める、といわれたものです。それが、昨今のキャンパスは連休が終わっても学生数は減らず、下手をすると、夏休みが明けても学生はキャンパスに溢れているのです。なのに、クラスに出席する学生の態度は、携帯、私語、歩き回りいわゆる大学生の学級崩壊状態です。大学に来てクラスに出るのは、出席しないと不安、友達と会うというのが主目的で、その講義内容への興味とか、知識欲ということは二の次以下のようです。知識を得て、考え研究し、いろいろなことを学び自分を高めるという意識が伝わってきません。
これまで、小中学校の教育のしわ寄せが大学に来ている、という感覚を持っていたのが、多分、今後はそのしわ寄せは企業にいくことになるのではないでしょうか。実際、企業の人事担当者からはそういう嘆きが聞こえてきます。相当偏差値の高い大学の学生でも面接の受け答えや、論文の内容が大学生とは思いない内容のものが目立つといいます。例えば、会社で何をしたいかなどを書かせても数行しかかけない学生もいるらしいのです。これなどは、学力が高い大学内での二極分化の証左ではないでしょうか。
僕も、三浦氏が言うように、昨今の二極分化の問題点は経済問題以上に意欲の問題と
してとても気になります。
こんな現状を考えて、例えば今の学生が社会で中心的な役割を担う20年後、30年後
の日本社会をイメージすると、どんな社会をイメージしますか。
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