自由3題
2006年2月14日の朝日新聞に「自由」をテーマに3つの記事が掲載されていた。それぞれに違う記事内容なのだが、偶然にも「自由つながり」の最新事件を扱ったものだった。
1.「この10年 一気に規制緩和」 「規律」伴わぬ「自由」
テーマはライブドア事件である。要するに、この10年間で、日本の株式・証券関係の制度が一気に変わった。これまで日本は抑制的なヨーロッパ型の制度だった。それが、ここ10年で自由なアメリカ型を取り始めたということである。問題は、その際十分な議論をしないで、責任やチェック機構を伴わない形で、自由を優先する規制緩和をしてきたのではないか、ということである。
2.オピニオンのページ「政態」拝見
靖国の迷路 「心の自由」ですむなら
ここでは勿論、小泉首相の靖国神社参拝問題とアジア外交とりわけ対中対韓問題について述べている。
トピックは衆議院予算委員会での社民党辻本氏と小泉首相のやり取りだ。辻本氏の質問は、1)「心の自由」は皆が持っているが、それを行使したときは責任が生じる。2)民族対立、歴史的な恩讐という国際紛争の原因は、要は心の問題、価値観の対立の問題である。この心と心のぶつかり合いにどう折り合いをつけるかが政治の役割ではないか。 これに対する、小泉首相の答弁は「心の問題は大事です。心は自由です」だった。
イスラム教徒とキリスト教徒の心には優劣はつけられない。宗教の自由も表現の自由も等しくかけがえがない。内面の問題に政治が深入りしないというのは人類の知恵である。でも、日本の政治はこの考え方に疎いのではないか。憲法や教育基本法の改正論議で、国民の「心」に国家が踏み込もうとしているのはその証左ではないか。
3.私の視点に投稿した、駐日エジプト大使 ヒシャム・バドル氏の記事
「風刺漫画危機 自由・寛容の社会つくる契機に」
これはイスラム教預言者ムハンマドを描いた風刺漫画問題である。バドル氏はヨーロッパがこの問題を表現の自由という視点からのみ考えていることに対し批判を加えている。要するに、イスラムにとっての神聖なイスラム教あるいはイスラム教義および聖人とヨーロッパ(象徴的に似使っています)にとって神聖な(表現の)自由や民主主義との問題だと立てている。
その時に価値観の多様性が進む現代社会で、欧米は価値観の違う物を排除する考え方である。また、風刺漫画危機は不寛容と無知の世界に暴力が起こりうるという警鐘である、と述べている。
そして最後に、私たちは自由と寛容の民主主義を育てる必要がある。平和と反映のために近代的で、多分か・他民族・多宗教の社会を築くこと、それが私たちの希望である、と締めくくっている。
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この3つの記事内容には連作のようにつながりがあります。その根底にあるのは「自由」です。その自由と本来は対としてあるのが「責任」です。ところが、日本人は自由だけを享受し責任を問われることには無知なのではないでしょうか。これはまさに、小泉首相の「心の問題」に辻本氏が投げかける自由の行使には責任が伴う、という批判に対応していますよね。
日本や日本人にとって何が大事か、という議論をきちんとすることなく、アメリカの言いなりという形で政治が動いていくのが今の日本の政治や外交です。日本人は政治や外交においては考えたり議論する必要はありません。アメリカがどう考えているかを知り、それに追随すればいいわけです。日本の代表が物を考えずにいるのですから、国民がモノを考えるはずはないし、ましてや若者や子どもがモノを考えるはずはありません。若者や子どものの問題は全て、日本や日本の大人たちの反映です。
そして、法律が国民の心の中まで規制しようという鈍感さ、さらにはそのことに何の関心も危機感も感じない日本人の無知、これはいったいどう考えたらいいのでしょうか。やはり日本人は自由の意味が理解できない国民なのでしょうか。これは僕の深いところで持っている疑問です。このことは、日本には民主主義や自由主義は根付かないというラジカルな考えに到達してしまうのです。(これはあまり大声ではいえないかもしれません)
価値観という内面の問題を政治的にどう折り合いをつけるか、という課題はそのまま、3つ目の記事の主張と重なってきます。すなわち、価値観の違う2者がどう社会の中で折り合って、共生できるかです。
僕がこの3つの記事に関心を持ったキッカケは、実は3つ目の記事でした。この記事の中に、上には記していませんが、「日本のメディアは懸命にも風刺画を自生してきた、日本政府は風刺画に対してイスラム教徒が感じる苦痛を理解している」ということが書いてありました。僕もそう思いました。そして、日本人がそれを理解したとすると、イスラム教徒にとってと同様に、日本人にとっては表現の自由以上に大事な価値があルということではないでしょうか。それは天皇です。
日本人は思想の右左等を越えて、イスラム教徒の心情が比較的理解しやすい国民なのかもしれないな、と僕は思ったのです。靖国神社を巡る小泉首相の言動もやはり同じ根っこではないでしょうか。だとすると、いったい日本人は何時になったらこの問題をクリアできるのでしょうか。そして、どうやって解決できるのでしょうか。実のところ僕は悲観的です。
だから、むしろ日本は民主主義や自由主義を捨ててしまった方が、行きやすいのではないか、などと考えてしまうのです。
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