2008年2月22日
今朝は、企業家仲間の早朝勉強会に行って来ました。ご近所に会社を持つKさんが香港に行って、見て感じた事を、ご自身が撮影した写真を追いながら交々に語ってくれました。Kさんは海外旅行に行くと、ドラッグストアやDIYに入り浸るらしい。そういうところで売っている日用品が、その国の生活を表すと言っていました。
お話の中で印象的だったのは、Sさんは自社の製品を中国で製作しているそうです。そうすると、いくらクレームをつけても一定の不良品が入っていたり、正月だから作れないとかいう事が結構あるらしい。日本の感覚から言うと、そんなこと考えられない!という感じだが、もし日本(人)がグローバルにビジネスを展開するなら、日本的なQC的発想はやめたほうがいいかもしれない、というご意見でした。
確かに、最近の食糧事情を見ても、企業の様子を見ていても、日本(人)の求めるクウォリティの高さはかなりのものです。納期などもそうです。日本人のそういった細やかさこそが、日本の強みでもあるのです。
でも、本来ルーズなところのある僕は、その細やかさが時々うるさく感じる事が結構あります。ちょっと位いいじゃない、というのが特に仕事がらみだと許されません。勿論、だからちゃんとしている、例えば電車の正確さなんかその典型ですが。
変にちゃんとしすぎるから、自ら息苦しくなって、不正をしてしまったり、自分を追い込んでとんでもない事件を起こしたりということもあります。
教育でもそういう面が多々見られます。適当にしておけばいいのに、全員を等質の円にするような教育が今の教育問題や子ども問題、青少年問題、さらには様々な社会問題にも繋がっているのではないでしょうか。
一見、日本の強みと見られる事が、実は弱みに結びつくという、嫌な循環を今日Sさんの話を聴いて、思ったのでした。
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