この休みは、加藤周一を読んでいる。きっかけは、昨年無くなった最も大きな知性ということとNHKの番組でやっていた「言葉と戦車」のドキュメンタリーだ。
「言葉と戦車」は絶版となっていてがっかりしたのだが、加藤周一著作集第8巻に納められていることを知って、即図書館で借りたのだ。その第8巻の「言葉と戦車」のすぐ後に「丁丑公論私記」というエッセイがあって、とても面白かった。「丁丑公論」は福沢諭吉が西郷隆盛への世論の避難を批判する文章への評論である。特に、70年代の日本の政治状況との比較として書かれている。
その中で、国民の利益を考える文章があって、加藤が下記のように国民の利益を書いている。
1)平和;戦場に人を送り、町が崩壊するのは国民の利益に反する
2)住み良さ;空気・水・安全・仕事、家があること
3)生き甲斐、働き甲斐、自分自身に対する誇り;社会への参加意識、存在意識
1970年に書かれた内容だが、2009年の今読んでも古さを感じるどころか、今の日本の抱える問題そのものである。加藤周一の視線の鋭さ、先見性ということももちろんだが、僕はこのような形で根本的な問題の建て方自体、今とても必要なのではないかと考えるのだ。
今の日本の状況の中で、国民の利益とは何だろうか。今の政治がこのような視点を持っているか。否である。実は、政治家や経済界、官僚だけの問題ではない、知識人も国民もこのような視点をどこかに忘れてきているのではないだろうか。
だから、日本中がバラバラだ。誰も決めない。誰も動かない。
僕の友人が、今は心理学だよ、と言っていたが、僕は今は哲学じゃないかと思う。皆が、今いるそこからしっかり自分や周りを考えること、結論は動であってもいい、考えること、その事によって「正しい」方向が指ししめられるのではないだろうか。皆が考えないから、「正しい」方向が定まらないのである。
そんなことを考えながら、この正月をすごした。じゃ、僕は何を考え、何をすべきか。それが一番大事なのだ。