最近の日本は、経済的にはバブル崩壊後の不景気感が徐々に解消されつつあるようだが、国全体の雰囲気としては閉塞感が蔓延しているように思える。なんかすっきりしない感じが、僕には感じられる。それは、日本という国だけでなく、その構成要素である個々の人間にも言える。むしろ、個々の人間の閉塞感が日本の国全体の閉塞感を形作っているのかもしれない。
政治もそう、何か我々国民の意識と政治が乖離している。教育もそう、上で言っていることと、教員と、親と、そして当の子どもたちの意識がぶつ切りな感じがしないだろうか。そんな中、日本の外交もよく分からない力で動いていくし、普通に考えると理解できない事件がたくさん起こっている。
日本はいったい、教育熱が高いのだろうか。中学校のお受験熱はかなりのもので、都内の小学校の一クラスの1/4から1/2が私立中学に進学するという。教育委員会は、教員の締め付けに一生懸命で、君が代を歌わない先生が処分を受ける。国は、ゆとりと詰め込みの間を行ったりきたりしながら、定まらない歴史、ボランティアの強制(?)、教育基本法の改正。大学生は、入ったはいいが、友達が出来ずに大学に適応できず、授業よりもお遊びサークルの出席率の方がはるかに高いという。そして、漢字は読めない、計算は出来ない、夢は無い、コミュニケーションは取れない、そんな大学生は・・・大学生なのだろうか。
いやいや、実は彼ら自身が閉塞感の真っ只中にいるのかもしれない。日本が今、大きな分岐点に来ているのに、そこで方向を示してくれるはずの大人(親や教師)は、アンシャンレジームから抜け出せない亡霊のごとく、「一流大学一流会社」と私語を唱えるだけ。そんな大人に育てられた学生たちが、自分で方向を探し、決めることなんか出来るはずはない。そんな自分と状況を直感的に感じ取っている学生たちは、当然のごとく閉塞感に陥るのは自然でさえある。
日本経済は長いトンネルからやっとのことで這い出たけれど、日本人はどうなっちゃうんだろう、日本はどうなっちゃうんだろう。そんなことを、後期の授業を通して、考えていきたいと思っています。
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