人間が入手する70%が視覚からの情報だという説がある。確かに、活字、映像、看板などなど、聴覚と比べて視覚媒体は多様で多数である。文字発明、それ以前の絵(洞窟画)、印刷技術、映画、TVなどがそれを後押ししているのだろう。
視覚以外の媒体で言うと、ラジオと電話がある。でも、ラジオはTVに押されてしまっている。電話も、固定電話→携帯電話→携帯メールあるいはファックスと視覚化の方向が顕著だ。
これらの現象に対して、聴覚や味覚、触覚の復活を述べる意見があるが、もう一つ思ったのは、「見えない」モノへの関心である。
見えないものとは、例えば、人の心とか、他の国や他の国の人、未来のこと、自分の関心以外のものなどである。見えないがどこかにあるものである。そしてそれは、一見自分に関係ないように見えるが、実は何らかの関係があるものでもある。だけど、それを見ないから、理解できない。
見えないものをどうやってみるのか、それは想像力であったり、様々な知識であたりするのだろう。でも、今の世の中、目の前にあるものの処理だけですら大変な情報量で、それらを完全に処理なんか出来ない。また、知識や関心も目の前の、自分に直結するものしか持とうとしない。
人間関係にしても、自分に関わる人、家族とか恋人とか友人とかについては見えるけど、その他の人の姿や視線が消えてしまう状況がある。例えば、電車内での化粧、食事、道路での座り込み、携帯電話の使用、音楽媒体の音漏れ・・・。居るけど居ない状態、居るけど見えない状態、人間関係の希薄化、社会性の喪失・・・。
表面的でなく、ちょっと深みまで視点を伸ばすだけで、結構社会は丸くなるのかもしれない。
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