大学で学生と話していて、最近気になることばがある。それは、「かったるーい」だ。何かをしようとするとき、「かったるいや」で止めてしまう。これは行動の指針が「かったるーい」ということだろう。勿論、この行動指針の「かったるい」は行動をしないという行動の指針ということになる。
この行動の指針は、特に最近出てきたものではないだろう。昔から、こういう声は聞こえたし、僕自身ある時期こういう行動をしたこともある。でも、大学にいて学生といると、結構頻繁にこの声を聞く。まず、「動いてみてそれから考えれば」というようなアドバイスに対しても、無言のうちに「かたるいから」やらない。
「こういうことをやらなくちゃ」「こういう風にしたらいいと思う」という緩やかな「べき」論が出てきても実際に動くことが少ないのである。ところが、何らかの形で行動をしてみると、見事なほどそこでいろいろなものを感じ、考え学ぶのである。典型的なのは、今僕の授業でやっている、昼休みのゴミ拾いだ。これは、体験学習の一環として、全員必ず、最低1回は昼休み30分間ゴミ拾いをする。しないと単位が出ない。だから、これはボランティアではない。まさに強制的な体験学習ということになる。
でも、多くの学生がゴミを拾った体験を通して何らかの学び、思いを抱く。
でも、残念ながら、「かったるい」と行動しない学生の数のほうが圧倒的に多い。まず一歩踏み出す何かが、こちらからの訴える力が、弱いのでしょうね。
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