エクセルで、西暦、元号、日にち、自分の年齢、出来事、日本史、世界史、備考という項目を作って、1945年の終戦から一応僕の100歳の誕生日までの表を作成し、思い出すことをランダムに書き込んでいいっている。昔の手帳や書類を見ながら、また思い出しながら、少しづつ空白を埋めていこうかと思っている。
この作業がどういう意味を持つか未だ分からないけれど、50歳を過ぎた今、半世紀を振り返る作業として純粋にやってみようかと思っている。
だから、2006年9月5日は僕の年表作成開始日ということを記入しよう。
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エクセルで、西暦、元号、日にち、自分の年齢、出来事、日本史、世界史、備考という項目を作って、1945年の終戦から一応僕の100歳の誕生日までの表を作成し、思い出すことをランダムに書き込んでいいっている。昔の手帳や書類を見ながら、また思い出しながら、少しづつ空白を埋めていこうかと思っている。
この作業がどういう意味を持つか未だ分からないけれど、50歳を過ぎた今、半世紀を振り返る作業として純粋にやってみようかと思っている。
だから、2006年9月5日は僕の年表作成開始日ということを記入しよう。
2006年9 月 6日 (水) カテゴリー: つれずれ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
9/4付けの朝日新聞に、竹内佐和子氏が若者の自立について書いていた。自らの経験から、ヨーロッパにおける大学の寄宿舎の役割を評価している。自宅を出て寄宿舎に入ることによる、親離れ、社会化、自立ということである。以下に、気になった部分を引用した。
「ヨーロッパでは近年、若者がどの時点で親と離れ、社会生活の経験を始めるべきかといった議論が盛んだ。ニートやフリーター向けの雇用対策ではなく、教育的な視点から、若者の自立を促して社会参加させる方法を真剣に考えるべきだという意見が強くなっているからだ。」「社会は自分の努力によって動くものだ。そのためにも早く自立して社会に参加しなければならない―。こうした意識を育てることは、社会を活性化する上で重要なことであろう。」
この考えを日本に移植する為、各地に寄宿舎を作ったり、全寮制の高校を作って、留学生や研究者も同居することで国際性も身に付く、という展開になる。この全寮制高校については、東京都の都立秋川高校が破綻しているのだが、ただ、方向としては面白いかもしれない。
僕としては若者の親離れ、と同時に且つ同程度に親の子離れが重要だと思う。結局、子どもは親を見て育つわけで、自立しない親からは自立した子どもはなかなか育たない。子どもは未熟だから、ひとりにできないでは何時までたっても未熟なわけで、未熟だからこそ、独り立ちさせるということかもしれない。
僕自身のことを思うと、僕自身は家を出ず、ずーっと自宅通いの生活だったが、その中でも「もう大人だから、自分でやりたいことをやる」みたいな自己主張をして、それはそれで親との軋轢があったのだが、その事が独り立ち意識につながったような気がする。
問題はそういう自立意識みたいなものがそうやって育まれるか、である。
2006年9 月 5日 (火) カテゴリー: つれずれ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日(9/4)昼間図書館に行きました。思い切って読みたい本をじっくり読もうと思ったのです。まあ、涼しいし、静かだし、ほかの事を考えずに本が読める場所ですからね。
図書館に行って、学習室に席が取れました。早速バッグから本を取り出して読み始めました。なるほど、いい調子で読めます。やっぱり図書館だな、と思いました。
ところが、15分くらいすると、ジーパンに半そでシャツで行ったのですが、段々寒さが気になりだしたのです。気になりだすと、本に集中できなくなってくるのですね。省エネ、クールビズで、少なくとも役所関係はそこそこの温度にしていると思ったのが、そうじゃないんですね。女性なんか皆長袖をを来たり、上着を着たりしています。ということは、やっぱり普通以上に寒いということですよね。
結局僕は、30分もしないうちに、図書館を出てしまったのです。
出てきて、家に向かう途中で、電車のクーラーについても思い出しました。JRにしても、私鉄にしても、長袖なしでは電車に乗れません。だから、夏の暑い日も、僕は半そででなく、長袖で出かけます。夕方とか、じっとしていられないくらい冷え切っていることもあります。
意識が低いということですよね。必要以上の冷房が身体には悪いし、完全に資源の無駄遣いをしているわけです。こういう意識事態が実はCSRにつながるのではないかな。
この図書館のある自治体も、冷房ビンビンの鉄道会社もCSRの意識が低いということですね。
2006年9 月 5日 (火) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
TAHITI
今日、TAHITIに14年間住んでいたという方にお会いしました。真珠の養殖と販売の仕事をしている方です。僕は正直、HAITIと混同していました。実は最初の話題が、TAHITIのコーヒーだったのです。ご存知の方もいるかもしれませんが、新宿にHAITIコーヒーのお店があり、大学生の頃時々行っていたので、タヒチコーヒーであの癖のあるHAITIコーヒーを連想し、そこから離れられなくなってしまったというわけです。
TAHITIは正式にはFrenchPorinesiaといいます。日本語ではフランス領ポリネシアです。つまり、フランスの植民地なのです。場所は、googleEarthでFrenchPorinesiaと入れて検索すると分かりますが、南太平洋に浮かぶ5つの諸島群なのです。それらの島の領域面積は西ヨーロッパに匹敵するそうです。その中心は、というのは行政的な中心は、首都パペーテのあるタヒチ島のようです。だから(日本では)タヒチって言うのですね。因みに日本からは11時間かかるそうです。勿論徒歩ではありません。
僕がTAHITIから連想するのは、ゴーギャン(Paul Gauguin 1848-1903)ですね。ゴーギャンはTAHITIに住んで絵を描いています。が、その方話では、ゴーギャン博物館はあるのですが、ゴーギャンの絵は少ないそうです(後で調べたら、25点くらいあるそうですが、あまり有名な絵ではないのかな)。宗主国フランスがほとんど持って行っているようです。芸術も金次第ですね。
(左は、
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1897-1898年(ボストン美術館)です)
TAHITIがらみで何か仕事が出来るといいな、と思っています。仕事になれば、きっとTAHITIに行って、タヒチのコーヒーを飲んで、フランス人が置いていったゴーギャンの絵が見られるかもしれないですね。
2006年9 月 3日 (日) カテゴリー: つれずれ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
9月1日付け朝日新聞夕刊1面の特集「ニッポン 人脈記」(テーマは“TOKYO・モード”)で、文化服装学院が話題になっていた。戦前のお裁縫学校をファッション・デザイン学校にしたのが小池千枝(元名誉学院長)だった。小池は1950年代半ばにパリでデザインを勉強する。その教え子は高田賢三、松田光弘(ニコル創業者)、コシノ・ジュンコ、金子功など日本のファッション・デザイン界のリーダー達がいる。
その小池の言葉、「教育とは、一人ひとりの学生を揺さぶってみることなの。中から必ず独自な何かが出てくるのだから」。教え子松田の言葉、「・・・手抜きはすぐ見破られた。最後まで考え抜くことを学んだ」。高田の言葉「何だ、思いっきり好き勝手にやればいいんだ、と気づいた。それが教えてもらった一番大事なことだった。
これらの言葉を何度か読み返しながら、これが今の教育にはないんだな、と思った。小池はすべての学生の中に、可能性があることを前提に、彼らに何かを投げかける。教師には教えることは無い。生徒・教師は自分で学ぶことしか出来ない。そのことを今の日本の教育は忘れている。学生は自分で考え、自分で決めるしかない。そして、自分で気づくのだ。一人ひとりが違う個性と価値観を持ち、自由に羽ばたく。教育の役目はその手助けでしかない。
この謙虚さと眼が人を育てるのだろう。日本は今、分岐点にある。日本が再生する道は教育以外にない。
2006年9 月 2日 (土) カテゴリー: 教育 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
小学生の校内暴力
9/1付け朝日新聞朝刊にこんな記事が載っていた。リード部分をまとめると、『都教委の調査では前年比1.7倍とのこと。教員は「子どもと信頼関係が築きにくくなり、荒れる原因も把握しづらい」といっている。また「学校が学力向上に重心を移すなか、子どもたちをどう受け止めればいいのか分からない」という意見もある。』
暴力の内容は、器物破損29件、教師への暴力は15件、ある教師によると、実際はこんな数ではない、という。
でも、常識的に考えて、大の大人が小学生に暴力を受ける、ってちょっと理解しにくくないですか。確かに小学校6年生くらいだと最近は大きい子どももいるのかもしれないけれど、少なくとも1対1なら大人は負けないでしょう。
じゃ、何だというと、記事の中ではコミュニケーションということが言われていた。でも、最近はコミュニケーションばやりで、コミュニケーションの中身がよく分からない。多分、ひとによってその理解がずいぶんかけ離れているのではないだろうか。
確かにコミュニケーション不足、ということはあるのだと思う。じゃ、コミュニケーションって何、に入っていくと話は広がりすぎてしまう。とりあえず、生徒と正面から向きあい、対話するというとしておきましょう。
要するに先生たちは生徒と向き合うということが出来ていない、ということなんですね。このことは、実は親も同じ、つまり大人が子どもに向き合えていない、ということではないでしょうか。これは今の日本の状況の一面をしっかり捉えているように思います。大人がコミュニケーションできないから、当然その子どもも出来るはずはない。基本的に子どもは大人を見て、言葉とかコミュニケーションを身につけるのです。
教師も、医者も、政治家も、大人たち皆がコミュニケーションブレイクダウン症候群=日本は今コミュニケーションブレイクダウン、だということですね。これは価値観の喪失ということにも通じるわけです。
こんな状況の中で、教師は自信が持てない、教師自身の中の価値観がブレている。生徒をガツンと怒れない、指導できない。そんなブレた教師を見て、生徒が信頼するはずはない。しかも、親も同じなのですから、普段から大人に対して不信しかもてない。
要は、これは子どもの問題じゃないということなのです。それが大人には、当たり前ですが、分かっていない。
2006年9 月 1日 (金) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
僕は事務所にいたので、早速店に行きました。そうしたら、初老の男性がいました。見るからに職人とか料理人みたいな感じでした。ご挨拶をして、僕が名刺を出すと、彼は僕の名刺だけ渡して、自分の名刺を出しませんでした。この時、最初の「あれっ?」を感じたし、多分7割がた詐欺かな、という思いでした。
もう一つは、この後、具体的な話にドンドン進んでいくのだけれども、どうも話の具合がこちらに都合のいいようなことばかりなのです。例えば、前金を半額払うとか、領収証なしでやりたいとか、予算の10,000円ギリギリの見積もり等々。とりあえず、見積書を作って、見せると、すぐ会社の会長に見せて、手付けを払うと言うのです。
ついては、池袋の会長宅に行くのに、僕の車を出してくれというのです。店にはNovelyがいるから、そこでゴタゴタするのはまずいし、まあ、店から離れた方がいいな、と思い、そしてあと10%くらいの可能性も考えながら、車を取りにいったわけです。
池袋に着くと、三越で買い物をするので、ちょっと待っているように言われたのです。そして彼は一人で三越に入って行きました。しばらくすると戻ってきて「財布忘れたので会長への土産が買えない。だから、すぐ返すからか寝かしてくれないか」と言って来たのです。これで99.9%詐欺です。でも、僕はジャリ銭を渡しました。ジャリ銭で0.1%かけたのです。でも、やはり彼は帰ってきませんでした。
それにしても、面白い体験をしました。どうしてうちの店に来たんでしょうか。不思議だ!?
2006年9 月 1日 (金) カテゴリー: つれずれ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)